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蒲田の切子ガラス(三)  グラスフォレスト代表 鍋谷 孝

2007年10月掲載

 


なぜ切子工場が蒲田にあるのでしょうか?それは昭和初期に遡ります。昭和九年に西六郷一丁目に日本最初のクリスタル専門工場「各務(かがみ)クリスタル製作所」が誕生しました。各務クリスタルは最高級のガラスを製作していました。そしてその下請けとして小さな切子工場が蒲田周辺にも出来たのです。
私の父も、矢口にあった切子工場での修業ののち、昭和27年に祖父が作った鍋谷グラス工芸社で叔父たちとともに各務クリスタルの切子の仕事を請け負うことになりました。
蒲田という機械工業の町の中になぜ、最高のガラス工藝の会社が?私には不思議でした。そこで各務クリスタルの誕生のいきさつを文献や資料で調べてみました。
すると各務クリスタルは、大倉陶園という最高級陶磁器メーカーに誘致されたことがわかりました。各務クリスタルがあった所の向かい側が大正年間に設立された大倉陶園の跡地で、なんと今は私が通っていた志茂田中学校なのです。そこには、広大なお花畑と洒落た工場や洋館の展示場があり、世界最高の陶磁器をめざしていたのです。
では大倉陶園はなぜ蒲田へ?調べていくと大倉陶園も誘致されていたのです。蒲田電車庫をはさんで、その先にあった、タイプライターの黒澤商会の黒澤貞次郎が声をかけたといいます。黒澤?クロサワ?「クロサワ」といえば小学校の時に遊んだ広大な原っぱです。今は富士通になっている場所です。あの原っぱの「クロサワ」が、大正時代は、工場、従業員のための住宅、自給自足用の畑、子弟の学校があったコミュニティー村だったとは。建物も黒澤貞次郎が自ら設計したモダンなデザインで、蒲田駅東口にあった松竹キネマ蒲田撮影所が映画のロケにも使っていたと記録にあります。
蒲田の切子から辿っていくと、クリスタルガラス、洋陶器、タイプライターとモダンな蒲田がありました。「蒲田モダン」があったのです。しかも自分が育ったところにあったとは、驚きも二倍です。
これまで私たちが作っている切子はモダンだと言われてきました。今考えると大正時代のモダンな蒲田の匂いがそうさせたのかもしれません。「蒲田モダン」を継承し、蒲田を再び文化の香りある町にできたら、それが私の夢です。

 

● 鍋谷 孝 (なべたに たかし) 
南久が原在住 
仲六郷「東亜ガラス工芸」工場主の子息として蒲田に育つ
現在「東亜ガラス工芸」の製品企画、販売の会社グラスフォレストの代表

 

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