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文文文(bunbunbun)

 

「お風呂屋さん」育ち    本間 一恵  

2009年7月掲載

 

 今から50数年の昔、私は中央区の築地場外市場の中にあった銭湯、築地湯の初孫として生まれた。その後、大田区西六郷の一の湯へと移り、場所は変わったものの、ずっと銭湯で暮らしてきた。実は、ほんの少し手伝った程度で自分で営業したことはないのだが、毎日入るお風呂は、あの大きなのが当然、と思ってきた。

 今東京都の入浴料金は大人450円だが、私が大田区に移ってきた東京オリンピックの頃は23円だった。番台を手伝っていた頃の28円とか、32円とかがよく記憶に残っている。その後も毎年のように値上げされてきたが、その一方で銭湯の数は少しずつ減少に転じた。そして、ここへ来てそのスピードは加速度を増している。

 以前と違い、ほとんどの家やアパートに風呂が付いている現在、銭湯通いは体を洗うというよりも楽しみとしての意味が強くなった。大空間でののびのびした入浴は、家族や知人とのコミュニケーションともあいまって、今でも価値のある時間である。しかし、それは日常というより、非日常の特別な時間。それならいろいろな設備の整ったところのほうがいい、車で行ける駐車 場のあるところがいい、となるだろう。家の一番近くにある「私のお風呂」という感覚とはちょっと違ってくる。

 そんなわけで、私が長年親しんだ一の湯も、この4月で営業を終了した。築51年ほどの建築を取り壊すのは、ほんとにもったいない。伝統的な銭湯建築の立派な外観を持っているのでなおさらだ。

 多くの利用客があって、格天井の板の間に籐の脱衣籠がたくさん散らばっていた頃の光景が思い出される。寝台の上で裸にされる赤ちゃんたち。最盛期にはその世話をする若い女中さんまでいて、お正月にはお母さんから、日ごろのお礼にお年玉が渡されたりしていた。そんな状況の中では育児ノイローゼもなかったのだろう。裸での付き合いは、人の心もオープンにしたかもしれない。

 銭湯のよさが見直されて、減少に歯止めがかかるか、ますます姿を消すかはわからないが、人が集う場所としての役割は、どこかでこれからも必要とされていくだろう。外部のお風呂も、フィットネスクラブのジャグジー、デイケアセンターの入浴サービスなど、以前はなかったものが登場している。設備の整ったスーパー銭湯もあるし…。でも、富士山のペンキ絵を見ながら入る、高い天井と広い湯船だけが取柄のフツーのお風呂、あれは最高の贅沢でした。

 

●本間 一恵(ほんま かずえ)  

 西六郷在住  バスケタリー作家   

 

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