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特別寄稿 年齢と時間感覚  倉嶋 厚   

2010年3月掲載  

 

 「その頃の長き日この頃の短き日」(虚子)
 老齢になると「時の流れの速さ」を、一層強く感じるようになる。これについては「時間の心理的長さは、年齢の逆数に比例する」という説がある。10歳の時に感じた1時間を80歳の人は7〜8分にしか感じないというのである。
 この説はフランスの哲学者ポール・ジャネー (1823〜1899) が1876年か七八年に提唱し、甥の心理学者・精神病学者ピエール・ジャネー(1859〜1947)が、その著書の中で、叔父の説として紹介したもので、一般に「ジャネーの法則」として知られている。この説の成立理由としては、人生体験累積説などいろいろあるが、イギリスの作家ギッシング(1857〜1903)も、「時の立つのが速いと思うのは、人生というものがそろそろ解ってきたからだ」と言っている。
 では日本で、そのように言った人はいなかったのだろうか。実は彼らより百数十年も前に貝原益軒(1630〜1714)が『養生訓』(1713年刊)で、「老後は、若き時より月日の早き事、十倍なれば、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年とし…」(用字用語変更、以下同じ)、老年を楽しみなさいと記している。
 そして老人の心得として「荒い言葉、早口、大声をつつしめ」「怒るな、恨むな、思い煩うな、過ぎ去った人の過失をとがめるな、自分の過失を何度も悔やむな、事を省け、天地四時、山川の好景、草木の成長などを楽しめ」、「完全無欠を求めると、かえって心の負担になる」、「自分の力量を知って行え」などと教えている。
益軒は83歳で『養生訓』を書き、翌年上梓され、さらにその翌年、この世を去った。幸福な老年だったらしい。
 私は本年、満八86歳。10数年前に妻を亡くし、その後、何回も入退院を繰り帰し、一昨年晩秋・初冬には死を覚悟する状況になったが回復し、昨年夏は『日本の空をみつめて―気象予報と人生―』(岩波書店)を著すことができた。この本は多くの方に読んでいただき、昨年末には第5刷が刊行された。
 振り返ればわが「来し方」はすでに茫茫として長く、その間に受けた「人の恩」や僥倖を、今更のように改めて気付き、未知の「行く末」は目前に迫っている。ただただ、今日一日の平穏を感謝するのみである。

 

●倉嶋 厚(くらしま あつし エッセイスト)

※ 倉嶋厚さんは、気象庁を定年の後、NHKのNC9などのキャスターとして人気を博した。また、気象の専門知識と古今東西の文学への深い造詣をもとに、植物や自然現象に関するエッセイ集を多数出版。朝日新聞夕刊でも平成9年まで約二22年間、毎週1回「お天気衛星」というコラムを執筆されていた。
倉嶋さんのHP
http://www005.upp.so-net.ne.jp/kurashima/index.htm

 

 

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