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文文文(bunbunbun)

 

千鳥町今昔 旅館観月が消えた     堀川 裕子    

2013年1月掲載  

 

 

 昭和二〇年から三〇年頃の千鳥町駅付近、私の子供の頃のセピア色した思い出です。
 千鳥町、蓮沼、池上という名前からもお解かりの通り、この付近は水の豊富な土地柄のようです。千鳥町駅から第二京浜国道へ向かって商店街を一つ左へ入った道に下丸子方面から六郷用水が流れていました。江戸時代につくられたという六郷用水は現在は暗渠となっていますが、昭和二六年頃はかなり汚れた川として第二京浜国道に向かって流れていました。
 和風建築の旅館観月にも趣のある橋があり、その先右手にはちどりマーケットがありました。駄菓子屋、壺焼き芋屋、金魚すくいのできる金魚屋、飲み屋、コロッケが評判の肉屋、八百屋があり、駅への通り抜けもできるといった具合でした。
 幾つもある橋の一つには時折、自転車で綿あめ屋が現れて橋の上で店開きし、取り囲む子供たちの前で、足踏み機械をカタカタと回して綿菓子を無骨な手でからめ取る。真ん中へザラメを滑り込ませるそんな作業を飽きずに眺める子供たち。マーケット角の甘味処では今川焼き作る様を眺めたり、丑の日には魚屋の店頭でウナギをさばく様子に見とれたり、大人の生活と子供たちが近かった時代です。
 この辺りは関東ローム層だから地盤は固いと聞いていますが、戦争中は崖に隣組同士で、防空壕を掘った事もあったそうです。戦後このあたりにも残っていた防空壕は、危ないから近寄ってはだめ、とよく大人から言われました。マーケットから御屋敷のある山へ坂をあがると、右側に今では珍しくなった畑が現在も残っています。
 昭和四〇年頃に考古学の発掘調査した事もあります。久が原小学校でも土器など出土したように、に、この近辺でも豊かな古代の暮らしがあったのでしょうか。
 今日も朝からブルドーザーの音…この辺りで古くて貴重な建物であった旅館観月が取り壊し中です。昭和四年創業の観月は、四〇〇坪の敷地の中に、東屋や露天風呂などもあり、最近では海外からの観光客にも人気があったと聞いています。
 建物を覆っていたうっそうとした二本の松の木、そしてギンナンが嬉しかった黄金色の銀杏の木も切られてしまう計画とか。月夜にはこの松と雲の流れが美しかったのですが、あるのが当たり前だと思っていた物の一つがまた消えてしまいます。
 戦前を含めた少し前の事を知る地元の方に話を聞いてみたいものです。 

●堀川裕子(ほりかわ ゆうこ)千鳥在住

 

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