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文文文(bunbunbun)

 

はちみつ物語     蜂飼い見習いA    

2013年10月掲載  

 

 食べることは小さい時から好きでしたが、社会に出るころにはその関心が「食事→料理→素材→食べ物の生産」と広がっていきました。東京に生まれ、農を身近に接することもなく育ったこともあり、地方の友人知人から農産物を購入しつつ、都内の農家で働くことになりました。そこで初めて様々な野菜の「旬」を知り、「季節」を感じるようになり、楽しい・美味しい日々を送ることで、「都会育ちは美味しいものを知らない」ということに気付きました。
 「うちでも何かつくりたい」とは思うものの、自宅の庭は猫の額。僅かばかりの野菜を植えては「これじゃ自分で食べる分にもならない…」と生産は諦めていました。そんな頃、職場で会った、畑の隅に養蜂箱を置いている方に、「ここと近所の自宅で三十年近く養蜂をしているよ」と、いわれたのです。「養蜂?はちみつ?でも、甘いもの苦手だしなぁ」と思う前に、そこで採れたはちみつを数種類食べさせてもらいました。「あーっ!美味しい、季節や作物によってこんなに違うか!」と、美味しさに釣られて、養蜂について本を読んだりするようになりました。
 一般的に売られているはちみつは、西洋ミツバチが花々等から集め、自らの酵素で分解したものです。はちみつには百花蜜と単花蜜があり、前者は様々な花の花蜜から出来たもの、後者は「アカシアはちみつ」や「レンゲはちみつ」等、特定の花が咲いている近くに巣箱を置くことにより、その花蜜の比率が高いものです。百花蜜は巣箱を置いた地域の様々な植物の種類やバランス、採蜜日によって風味が変化する、その地域の特性が表れるはちみつといえるでしょうか。 西洋ミツバチが導入される明治以前から日本にいたのが、最近在来種として見直されている日本ミツバチで、集めるはちみつの量も少なく、そのはちみつは高価です。乳を多く出す牛や、卵を沢山生む鶏と同じように、人間に改良された西洋ミツバチは、家畜として優れた性質を持っている半面、温暖湿潤な日本では人為的な管理がないと、生きていけません(野生化できない)。
 みつばちは厳冬期を除き育児のため、巣の中の温度を一定に保ちます。また、厳冬期にも冬眠はせず、巣箱の中で塊になり、筋肉を動かした熱で暖め合い越冬します。はちみつはそのためのエネルギーとしてミツバチが蓄えたものであり、はちみつが足りなくなると群れは死滅します。はちみつは人間にとっての主食(炭水化物)にあたり、花粉がオカズ(タンパク質等)に相当し、この二つがミツバチの食べ物なので、他の家畜のように餌を与える必要は必ずしもありません。「ミツバチに人間が手を貸して病気や害虫から守ってやる、群れを元気に育てて、その分余ったはちみつを分けてもらう、それが養蜂なんだよ」と教えられました。
 日本の養蜂業は戦後の食糧難の時代にバブルを迎え「当時は西洋ミツバチ一群で家が建った」という話も聞きました。少し調べたところ、昭和二十一年に岡山県では、はちみつは一斗缶(二十四キログラム)で一万円を超えたそうです。そして、一つの群れ(一匹の女王、五〜一〇%程度の雄蜂、多くの働蜂、最盛期には四〜六万匹)から六〇キログラム採れるとすると、一群れの年間の生産量は凡そ二万五千円です。当時の大卒国家公務員初任給が五四〇円らしいので、昭和二十一年の五四〇円が平成二五年の二〇万円にあたるとすると、実に三七〇倍、昭和二十一年の二万五千円は現在の九〇〇万円強となります。うーん、いくら砂糖がなかったといってもなぁ…。ちなみに今西洋ミツバチは一群四、五万円ほどで売られています。(つづく)

 

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