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ご紹介します!あんな・こんなひと

● 章子の一葉記 下  ―おあし― 澤田章子

2004年5月掲載

樋口一葉の五千円札。
どんな一葉の姿が印刷されるのか・・・楽しみ、楽しみ!
澤田章子さん、上下の連載ありがとうございました。

 我こそはだるま大師に成にけれ
     とぶらはんにもあしなしにして

   樋口一葉の日記(明治二十六年四月十九日付)に書きつけられた歌である。知人の葬式に行かなければならないのに、香奠の金がない。おあし(金)がないから、達磨と同じだというのである。 
 母は、もっていた着物をすでに売り尽くして、もう質入れできるものもないと嘆きののしり、妹も姉の優柔不断を責める。そんな時に苦しまぎれにうかんだ歌だが、どこか達観したものが感じられる。 
 戸籍の名は奈津、日頃は夏子と書いた一葉は、その筆名の由来を聞かれた時に「達磨さんの葦の一葉(ひとは)よ、おあしがないから」と答えたという。足のない達磨大師が葦の一葉(ひとは)に乗って海を渡ったという伝説に女房ことばのおあしを掛けたしゃれである。 
 父が負債を残して急死し、家督を継いだ夏子が戸主となって、母と妹と三人世帯の責任を負うことになったのは明治二十二年、一七歳の時のこと。女性の知的な職業といえば学校の教師ぐらいであった時代。当時八年制だった小学校を六年でやめさせられた夏子の学歴では教師にもなれず、小説を書いてお金を得ようと、作家をこころざしたのだった。 
 ところが、懸命の小説修業にもかかわらず、売れる作品を書くことができない。大海にもまれる小舟のような心細さで夜を徹して文机に座り続ける日々に、足が腐るまで面壁の修業をした達磨大師を思ったにちがいない。 ところで、香奠は知人から借りて、母がお悔やみに出かけた。それで一件落着となるとまた仲良く散歩に出かける母娘なのである。 
 そんな一葉の肖像が、秋には新五千円札の顔として発行される。とことんお金の苦労をしつくした一葉がこのことを知ったならば、どんなしゃれを言うだろうか。  

(さわだあきこ)

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